凸凹道でも気にしない!

バイクの話を中心に…

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Category単独ツーリング

山辺の道にて

前回の続きとなりますが、大神神社を散策し、奈良(大和)の古道の一つである山辺の道の入口に立ったところからです。
今回はチョッと文体を変えて書いてみようと思いますが、果たして上手くまとまりますか…


山辺の道は、奈良の古道の一つで三輪山のふもとから春日山のふもとまでを南北に結ぶものである。
その道は、古の人々の生活において自然とできたものであろう。
道は山裾を巡り、細く曲がりくねっている。
それでも山を貫く獣道とは違い、どことなく人の営みを感じさせる温かさがある。

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夜中から今朝まで降った雨のせいで、道の所々はぬかるんでいる。
あまり歩く人は見かけないのだが、多数の足跡があり、それによって余計に泥のような状態になっている。

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そのぬかるんだ箇所を過ぎると、少しのあいだ木々の間を抜ける道となる。
それでも、山の中という感じではなく、ふもとの道という感じを強く受けるのが不思議であった。

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しばらく歩くと、いきなり木々の間から飛び出すかのように、畑の風景がひろがった。
その景色に何故だかしばし立ち止まっていた。

古の昔、ここを通った人はどんな風景を見たのだろうか…
どんなことを思いながら歩いたのだろうか…

そんなことを思っていると、鶯の鳴く声が聞こえた。
見上げるとうす曇の空が少し輝いて、眩しく感じられた。
その眩しさにふと我に返る。
気付けば頬に涙がつたっていた…

そもそも何故このような場所を歩こうと思ったのか…
端的に言うと、辛いことを思い出す出来事の起こったこの2月に区切りをつける為なのである。

『去る者は日々に疎し』ということわざがあるが、その通りであることも多い。
確かに日々の生活では考えることもなく、あたかも忘れているようでもある。
しかしふとした拍子に思い出すと、たまらなく会いたくなる人がいる。
もうどうしようもないことは分かっているはずなのに…

鶯の鳴き声は、春を告げる明るさを持っているが、どことなく憂いを帯びて聞こえることもある。
日本の昔話では、鳥があの世からのメッセンジャーの役割を果たすことがあり、鶯と言えば『瓜子姫』で瓜子姫が天邪鬼に殺されたことを告げに来る鳥である。

再び鶯の声が聞こえた。
「さあ、歩き出そう。」
何故か、心にあった塊のような空間のようなものが浄化されたような気がした。
そのとき感じた風の中に、雨上がりの森の香りがした。
陰鬱とした空気の中に、命の息吹のような清々しさがひろがるその香りは、それまでもしていたはずである。
そう、きっと感じられなかったのであろう。

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歩き出し程なく桧原神社に到着した。桧原神社は元伊勢といわれるものの一つ。
規模は小さいが、凛とした雰囲気がありさらに心が洗われるようであった。

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振り返ると、注連縄の下に遠く二上山が見える。(この画像は写真をクリックするとより大きくなります)
二上山は悲劇の皇子・大津皇子のお墓のある山で、奈良の側から見れば夕日の沈む方向である。
しかし二上山が、拝殿と注連縄の延長線上にあるは偶然なのだろうか。

逆に二上山から見ればこちら側、つまり三輪山が日の昇る方向と考えれば、死と再生を表していると見るのは考えすぎなのであろうか。
往復で1時間にも満たないこの散策で、私は確かに何かが再生したと感じている。

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